Mustard Seedの人材育成理念
自ら学び、成長できる、自立/自律型人材の育成
Mustard Seed は自立して生きていくための方法を学んでいくための場所です。
障害を持っているからと言って、すべてを周りに頼っていては、それ以上の生活は望めません。
むしろ現在の経済や政治の状況を考えると、むしろ悪化していく可能性が高いのが事実です。
だからこそ、Mustard Seed は教えるのではなく、
自ら学ぶ力を育てていくカリキュラムを提供しています。
ですが、ただ単に「自力でがんばれ!」と言っても、大概の人はただ困ってしまうだけです。
ですので、Mustard Seed はそのための戦略、戦術、管理、手法、ノウハウを惜しげもなく提供します。
それを身に着けることで、どのような時代や社会や問題に直面しても、自分の力で対応していくことが可能になるはずです。
自分の向き/不向きを知り、上手に周り協力してもらえる関係性を築く
そうはいっても、自分の力だけで解決できる問題は限られてきます。
より大きなことをなしたり、普段のことをより上手く/効率的にこなすためには、周りの協力は不可欠です。
それは、健常者でも当然のことですので、障がい者ならなおさらのことです。
自身が自立し、長所と短所を十分に理解する。
その上で、自分が長所を提供する代わりに、短所を他の人に補ってもらう。
そして、そのようなgive &take を円滑に行うためのコミュニケーションを日々実践する。
それを実現するためには、わがままなだけではできません。
自分の配慮を求めるだけで、相手を配慮しないのでは、相手からの協力は望めません。
だからこそ、自律、つまり、自分を律する力が必要なわけです。
自立し、自律することでお互いにとって良好な関係を築き、自身が長期的に働いていける環境が築けるのです。
障がい者が特殊なのではなく、社会のルールが障がい者を特殊にする
障がい者と聞くと、そのまま、「社会的な弱者」と考えるのが一般的かもしれません。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
例えば、原始時代、農耕がまだ発展していない時代、食料調達は狩りが主流でした。
その時代では、一頭巨大なマンモスを捕獲できれば、集落の何週間分かの食料をまかなえます。
当時は食料を保存する技術が限られていたため、それ以上の獲物を採ってきたとしても、逆に腐らせてしまうだけでした。
ですので、狩りは一旦お休みになります。
つまり、大きな獲物を狩れさえすれば、他の日は狩りをする必要がないのです。
だからこそ、現代で言うADHD的な短期集中で能力を発揮する人の方が重宝していたでしょう
そして、そのあと数日間仕事をしなくても何の問題もないのです。
しかし、現代ではとにかく週5日、朝から晩まで働くことがほぼ義務付けられています。
そのような社会では、短期集中型で毎日働けない人は戦力になりません。
この話からいったい何がわかるのでしょう?
それは、つまり、社会の中で戦力になるとか/ならないとか、価値がある/価値がないという考え方は、その時その時の時代や社会や文化によるということです。
その証拠に、ADHDは原始時代では障害でもなんでもなく、ただの優秀な人でした。
しかし、現代社会では障害として、使いにくい人とか戦力にならない人と捉えられます。
環境のユニバーサルデザインの時代 → 学びと仕事/働き方のユニバーサルデザイン の時代へ
では、現状戦力外通告を受けている障がい者は、どうすれば社会に堂々と参画していけるのでしょうか?
その答えは、学び方や働き方のルールを塗り替えることです。
現代社会においてはユニバーサルデザインの考えが普及し、身体障がい者にとって生活しやすい環境が整備されてきています。
しかし、このことによって恩恵を受けているのは身体障がい者に限ったことではありません。
身体障がい者のように、身体の機能が低下した高齢者やまだ身体の機能が未熟な幼児にとっても、大きな恩恵を与えています。
つまり、ユニバーサルデザインはそれを整備することで、
多くの方への恩恵を与えられる発想なのです。
この発想は、そっくりそのまま環境以外の分野にも応用可能です。
環境へのユニバーサルデザインはこのように現代社会では進んできています。
しかし、学び方や働き方へのユニバーサルデザインは依然として進んでおらず、
わずかな場所でしか、実践されていません。
Mustard Seed が掲げる第3の人材育成理念は
この 学び方や働き方へのユニバーサルデザイン の提案です。
学び方や働き方へのユニバーサルデザインの手法を提案・普及していくことで、
障がい者だけでなく、すべての人が学びやすく・働きやすい環境を実現していきます。
それにより、健常者のために作られた学び方や働き方のルールを塗り替えていくつもりです。
メインとしてのユニバーサルデザインとサブとしての障害への対応
ですので、Mustard Seed のプログラムは、
障がい者相手だからと言って特殊なプログラムは採用していません。
非常にオーソドックスで基本的な学習方法やビジネススキルやノウハウを提供しています。
しかし、そのようなことを教えるほかの場所と決定的に異なることは、
そのスキルやノウハウを障害を持っているかどうか関係なく実践できるレベルにまで、
簡易化・簡略化しており、誰でも取り掛かれるものにカスタマイズしています。
つまり、一般的な学習やビジネスのノウハウのユニバーサルデザイン化を徹底しているのです。
従来の障がい者教育や就労体験は障がい者を特別視して、それ用の特別なカリキュラムを実践していました。
しかし、それを長期間続けることで、障がい者はそのルールに適応してしまい、健常者が主体の社会に入るとき、自分のこれまでのノウハウが一切通用しないことに愕然としてしまうのです。
その結果、健常者の社会へ入っていくことを諦め、障がい者だけの社会で一生最低賃金以下の生活を余儀なくされてきた方が大勢います。
つまり、これまでの障がい者教育や障がい者の支援は、健常者の社会へ参入する際の壁を作っていたと言えます。
しかし、Mustard Seed が提案するユニバーサルデザインは違います。
そもそも健常者/障がい者を区別しない手法です。
だからこそ、障がい者が健常者社会へ入るときの壁を取り払ってくれるのです。
ただ、ユニバーサルデザインが普及していくだけでは、まだ不十分です。
その補完として、従来型の個々の障害特性に合ったサポートも必要です。
ユニバーサルデザインだけでは拾いきれない問題も確かにあるからです。
これまでの障がい者福祉はこの手法に頼りすぎてきました。
障がい者を個別に対応し、障害を細かく分け、一人一人にカスタマイズされた対応をしてきました。
その結果、毎回対応策が異なり、ケースだけが蓄積され、共通のノウハウが蓄積されません。
そのため、つねに援助者の経験と勘だけが頼りになり、人材育成に膨大な時間がかかり、
いくら人を雇っても人材不足のまま。
その結果、優秀な人材が過労により体調を崩し、辞めていくという悪循環になっています。
つまり、障がい者への個別の対応が主体という現在の障がい者福祉のあり方は根本的に限界があるのです。
だからこそ、ユニバーサルデザインをメインに代え、個別の対応をサブに置かなければならないのです。
様々なバックグラウンドを持った人との交流
Mustard Seed が掲げる最後の人材育成理念は 多様な価値観の育成 です。
障がい者は社会的に見ればマイノリティーです。
だから、障がい者だけと関わって人生を送ることは現実的に不可能です。
ですので、常に健常者と関わる経験を積み上げていかなければなりません。
また、一概に障がい者といってもその形は多様で、障がい者の間だけでも様々な方がいます。
ですので、障がい者同士でさえお互いのことをよく知り、よく考えなければなりません。
Mustard Seed は設立こそ障がい者のために創られましたが、すべての人に解放された場所です。
そのような場所で、様々なバックグラウンドを持った人たちが交流を持つことで、
多様な価値観が育成され、全ての人が暮らしやすい社会を実現させる一歩になると考えています。